先ずは、母親としての立場より前に、自分の感情を確認してみる事をおすすめします。

その当時の私の反応は、靴を履くことも忘れて帰ってくるほど、学校から先生から逃げるように帰宅した事に、呆れた感情、普通に出来ない長男が、不憫に思った感情が残っています。

これ以降、長男にとって学校は嫌で馴染めない場所なんだと理解して、無理に登校を促す事をやめました。

私としては事件と大袈裟に捉えるほど、その当時は、衝撃的な出来事でした。

長男の幼稚園時代

登園渋りをしていたので、幼稚園入園前の長女を連れて、長男と長女と私の3人で園内(廊下からクラスの雰囲気を感じたり、職員室でお弁当を食べたり)で過ごす事もしばしばありました。


私は、母親としてすべきことを全力で遂行していた感覚が残っています。

その当時は、子どもの事が大事であり、子どもが集団や雰囲気に慣れて欲しい一心で、その時の私のベストと思える行動をしていました。

それでも、自分の心を深掘りしていくと、それは○○しないといけないといった常識に縛られすぎていて、本当の気持ちは、一緒に園内で過ごす事を恥ずかしいと感じていました。

当時は、自分の感情に気付く余裕もありませんでした。

今、振り返ると、それは、表面的な対応、対処であり、今同じ事が起ったら、先ずは長男を観察することから始めて、彼がどう感じているか、どうしたいか?に寄り添う事から始めたいです。

母親の気持ちが、ブレやすくズレやすい状況は、センシティブな特徴を持つ子どもは、一瞬にしてマイナス要素を見抜きやすいです。

読者様で、同じようなシチュエーションにいる方は、その行動自体は、正しいのか誤りなのかの自分で思い込んでいる判断基準ではなくて、ベクトルを思い切り変えて、自分自身が楽しいのか楽しくないのか、で行動指針を決める事をおすすめします。


ワクワクする事をしていた方が、子どもにも良い影響があったのだと今では、確信しています。

誰かに聞いた方法を試したり、常識的に縛られすぎた行動をする前に、先ずは、母親である自分自身が


どうしたいか?


幸せを感じる基準は何か?


の軸を定める事が大事です。

長男の小学生時代

長男はクラスに入室できず、クラス外で過ごしていた時期があります。

寄り添い型の教務の先生や、なかよし学級の先生が、クラスに入れず、何処にいるのか不安定な長男が校門の外に出て行かないように、安全確保の目的を含めて目を掛けてくれていた記憶が残っています。

その当時は、枠からはみ出てはいけない、常識的に行動しないといけない、と私自身が「○○しないといけない」呪縛のような思い込みに縛られていました。

長男が小学4年生の時に、靴を下駄箱に残したまま裸足で学校から先生から、逃げるように帰って来た事件は、周りと違う、常識から外れた行動が衝撃的過ぎて、長男がどうして、逃げ帰りたいほど恐怖を感じているのか?等長男の気持ちに寄り添うまでは、できなかったです。

その後、しばらく学校に行かない期間が長くなり、見兼ねた父親は、長男の気持ちは無視して、学校に引っ張るように連れて行き、学校の廊下や踊り場で取っ組み合いのやり取りをしながら、半日掛けて、教室に入室させて、教室の椅子から長男が立ち上がらないように、父親が押さえ込む行為をしたと、スクールカウンセラーの先生から聞きました。

その話を聞いて、私は父親の一方的な行動が悲しくて、涙が溢れるばかりでした。

それまでは夫婦間で、学校に行って欲しい、共通の認識がありました。

それでも柔軟に、連れて行き、嫌がったら無理強いはしないと、共通認識をしていたつもりでしたが、全く夫には伝わっていないし聴いていないし、夫は、カッとなると相手が望まない行動を強制的に執行する癖があります。

そんな経緯が重なり、長期間の引きこもりが始まります。

もちろん父親のせいでも誰のせいでもないですが、私は、長男に強制する姿勢をやめました。

父親の支配的なエネルギーは、今も続いているように感じています。


長男は、中学校には、一度も行きませんでした。

不登校の会

不登校中の子どもを持つ親の会には、数カ所、掛け持ちで頻繁に参加していました。


それでも、逃げるように、裸足で帰って来た事件は、私には人には言えない恥ずかしい事として、口に出さないままでいました。

今考えると、それほど大変な事ではないと、分かるのですが、、、当時は物事を深刻に受け取り過ぎる癖もありました(T_T)。

逃げるように、裸足で学校から帰って来る我が子を持つお母さん達、同じ経験をしているお母さん達の存在を知ったのは、10年後。

ウチも!裸足で帰って来た事があるよ!


と、共感し合えたのは、10年程経ってからの、不登校の会で知り合ったお母さん達とランチをしていた時に、フッとした会話が切っ掛けでした。

あー♨️裸足で帰って来る程変わった子はウチだけじゃないんだ!


と、なんとも言えない安心感に包まれた事を覚えています。

その事は、10年もの間、人には言えないダメな事として、私の中で封印されていた事でした。

今、思うと、それは、それで個性であり、皆それぞれ、特徴を抱えながら、家族や周りの協力を得て克服してきているのだ、と感じています。


それでも、我が家族は、個性的な人材の集まりが過ぎていると感じています。

今は、子ども達の個性は、素晴らしい長所として捉えています。

夫に対しては、私から見たら3歳児のような振る舞いをする時があり、生活全般に関して、育児に関しても、相当に大変な時は、私のやろうとする事の邪魔ばかりすると、感じていました。

私は、八方塞がりで身動きが取れない時期は、相当に苦しく泥沼にはまっていました。

暴力、暴言、喧嘩やタイマンを張る等々、暢気で柳のような性格の自分からは、想像も出来ない経験ばかりした子育て事情でした。

苦しくて仕方がないときは、自分より不幸な人は沢山いるし、上も下もケースは無限なので、人と比較してもしょうがないと思うようにしていましたが、現実が大変すぎて

「マイナスのスパイラルにはまっている」

と、気付く事も出来ないでいる状況が続いていました。

それは、感情の泥沼です。

もし、読者様がこんな事、耐えられない、私は不幸と思う出来事が重なっていたら、感情に溺れている事に気付いて、捉え方、視点を変えてみて下さいね。

マイナスのスパイラルから抜け出す方法は、色々試しました。

先ずは、自分がマイナスのスパイラルにはまっていると、気付く事が大切です。

私は、状況を改善する方法を人に聴きに行くことばかりしていましたが、直ぐに自分で出来る方法があります。

しかも、一番のおすすめな方法です。

それは、自分の心地、捉え方、在り方を変えていく意識を持つことです。

目の前の出来事は、自分が成長出来るチャンスと捉え直しをしてみてください。

前の記事でも書いていますが、思い癖に気付いたら、深刻になる前に思い直しをして、軽やかなイメージに書き換えます。

自分の余裕があり、リラックスしているときに、繰り返してみてください。

自分の本質が浮上してきます♡


こんな私も変われたのでみーんな、変われます♪

生きてさえいれば、何とかなる。

生きてるだけでまるもうけ。

大丈夫。大丈夫。


と、大変な最中は、よく自分に言ってあげていました。

コツコツと続ける事で、子どもへの眼差しも少しずつ変わっていきます。

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